風沼 ついに1年

 風さんのファンになり、ついに1年経った。関ジャムを見て、なにげなく、でも初めて検索した日から、こんな時が来るとは想像もつかない1年だった。なんとかYouTube をみることはできたが、説明欄の存在すら知らず、ただ次々に出て来る動画を追うだけで衝撃が続いた。沼という言葉も知らないまま、知った時にはなんてふさわしい言葉なのかと心から納得した。

 それまでしようと思ったこともない TwitterInstagram にまで手を出し、今や使いこなしてるとは言えないまでも、十分利用しているとは思う。さらにまさかただこの気持を書きたいがためにブログを続けることになるなんて。1年前の自分が他人事として聞いたら全く理解できなかっただろう。

 この期間、風さんはとんでもない飛躍を遂げ、自分の目は正しかったとも思うけれど、とまどいやチケットを取る可能性が遠ざかって行くのに茫然という感が大きい。それにしても、これほどのアーティストを知り、メジャーな存在へと羽ばたいていく姿を見ることができるのはなんて幸せで、稀有なことだろう。それも単なる下積みという話ではない。子どもの頃からデビュー前の葛藤の時、どんどん夢を叶えていく過程まで、リアルタイムで目撃しただけでなく、YouTubeSNS で後追いでも見ることができるのだ。

 風さんにハマり始めた時、今の音楽の世界が全くわからなかったので、まずピアニストの動画を色々見て、やっぱり風さんのピアノはスゴいんだと確認したり、有名どころの日本人ポップスターのチャンネルを覗き、風さんの行き方(生き方)は特別なんだと納得したり、風さんへの接し方を模索していた。自分で自分の状態が理解できなくて、どうしたらいいかわからなかったのだ。そうして3か月くらい経った時には完全に沼に落ちていた。

 この沼は、沼という言葉に反し、自分には温泉よりずっと心身に良いのは驚きだ。いつからか、いつ気がついたかわからないが、半年で6Kg減量。理由はいくつかあるが、要するに、風さんの声を聴いていると QOL が上がって、満足感がでて、結果空腹感もなくなるのだ。もしちょっと空腹を感じても風さんの存在を考えるだけで、食べたい気持なんてどうでもよくなる。それに気付いてから、1年での目標を決め、無事達成した。もう少し緩やかに、もう少し続けるつもり。

 この満足感の正体はなんだろう。音楽・声・言葉・姿・生き方?23、24歳の青年の存在にここまで影響されてしまうのは何故なんだろう。残念ながら今までの生活に欠落感があったことも理由の一部なんだろう。きっかけはコロナ禍でいろんな不自由もあったからにせよ、根本的な隙間があったからこそではないかと思う。実生活で何か解決したわけではない。悪く言えばどうでもよくなっただけとも言える。それでも今はこの幸福に感謝して、もう少し生きてみようと思う。ー別に自殺願望があるわけではありません。