風沼(番外) 戦後75年にして生まれた音楽お化け

 先日2nd アルバムを発表した藤井風。

 この1年の快進撃は目を見張るばかりで、珠玉のものから、便乗組の有象無象の記事までいろんなレビューが出ている。私もまさに有象無象組であり、素人のただのファンである。

 その音楽性や技術は言わずもがな。人柄の無垢さや可愛さはいうも無駄。ビジュアルの良さはむしろ欠点とさえ言われている藤井風である。下は3歳児から80過ぎまで(それ以上の方すみません、ただ確認できてないだけです)、男女問わず魅了しているシンガーソングライター。彼が産まれるには戦後ここまでの時間が必要だったと思わされる。両親や兄姉によって聞かされ続けた音楽。ちょうどでき始めたネットというバリアフリーな環境。そこから産まれた音楽お化けこそ彼なのではないか。

 洋楽に変なコンプレックもなく、ただ好きな音楽を解析し、自分のものにし、一人でアウトプットしていたら、こんなんできましたけど、という感じ。バンドという長短ある形を取らなかったのも純粋な音楽性を保つのに良かったと思う。もう少し前なら一人というのは難しかっただろう。いくら弾き語りが得意でも、結局はピアノの上手い地方のお兄さんでしかなかったかもしれない。今更フォークソング時代のようにギター1本で素朴な歌では勝負できまい。でもこの時代、ピアノだけではなく、声の多重録音や望むならパソコンの打ち込みで厚みを足すのも意のまま。YouTube ならビジュアルも見せられるし、概要で文字情報も伝えられる。さらに憶測だが、高校卒業後に進学や就職をしない選択をする程の収益もあったのかもしれない。お金はともかく、ファンという手応えはきっとあっただろう。これは10年早くてはもちえなかった利点だろう。

 デビュー後もコロナ禍という特殊事情をどう考えるかにもよるが、今の時代だからこそ可能な拡散力があった。YouTube ならいつでも、いつのでも見られる。見る側もいつでもいつからでも見られる。それが10年前のでも発見できる。サザン・オールスターズや安室奈美恵宇多田ヒカルが出てきた時の衝撃を今の人が感じるのは難しいが、藤井風の場合はこれから知る人でも追体験できるだろう。この可愛い少年が色香振り撒くシンガーになる過程を見ることができるのも今この時代だからこそだろう。だからこそ彼も子供時代の動画も公開し続けているのだと思う。動画のコメント欄を読むと、それが何年前かを知るだけで感動してしまう。チーム風もこの過程を共有することの効用を知っているはずだ。そして多分、可愛い少年から大人の男性、もしかしたらオジさんになっていくのを見せるのさえ躊躇しないかもしれない。今の時代 forever young なんてありえない。年齢は克服するものではなく、享受するものだと教えてくれるかもしれない。それがこの21世紀の人間の在り方だと。まだ24歳の青年には概念でしかないようにも思えるが、半世紀前の人間にはよくわかっていなかったことを教えてくれるかな。

 

 弱冠22歳のときの1st アルバムに始まり、24歳の2nd アルバムで実力を証明した藤井風だが、いかに風ファンの私でも、素晴らしい音楽を生み出しているのは藤井風だけではないことを認めざるを得ない。敢えて名は上げないが、日本でロック・ポップ・ジャズなど今まで洋楽だった音楽を自然に自分のものにした人たちが続々現れて、当たり前になっているように思う。音楽お化けの群が湧き出ている。そしてその中で藤井風が一際大きな化け物だということだ。そしてその化け物が容姿も人柄をも持ち合わせてしまったら天使になってしまう、という現象を私(たち)は目の当たりにしている。本人には迷惑な話だが、釈迦だってキリストだって、自分でそうなりたかったわけではない。天使にされるくらいは我慢してください。何人もの監督さん達をメロメロにしてしまい、天使と言わせてるんだから。

 

 昭和の、芸能人が雲の上の憧れの存在だった時代の次は、平成は会いに行けるアイドルの時代。令和は可愛い天使の皮を被ったお化けの時代になるといいな。風さん以外にも何人かいそうだ。私は一人いれば十分だけど。