風沼 その声にやられた

 風さんの声はどうしてこんなにも心地良いのだろう。特にわかりやすいい声とは思えない。なのにこの中毒性はなんだろう。人間性?温かみ?でもそんなことを知らないうちにやられちゃったのはなんでなのか。そしてこれだけ多くの人を虜にするのは普遍的な力があるからとしか思えない。

 コーラスも全て自分でするので、高音部も複雑なハーモニーもどの曲も100%風さんの声で聴ける。特に cover CD のコーラスの美しさは、2年近く前のレコーディングと思われるのに、最近の上手くなったなあという歌を聴いた後でも全く遜色ないと感じる。ピアノアレンジだけというのもあり歌声がダイレクトに響く。サブスクを使えるようになって3か月、毎日3周は聴き続けている。MV と違い映像がないので、家事のお供に、バックグラウンド再生に、まさに中毒状態だ。Live streaming を、言葉もセトリさえ覚えてしまっているのに今日もまた聞いてしまうのは、歌わなくてもとにかく声を聞いていたいからなんだろう。もう自分でもどうしたいのかわからない。

 HEHN album の曲はできれば武道館ライブので聴きたい。MC で話を聞けるのもあるが、緊張感が張り詰めるなかにも、ライブを楽しむ風さんの声と姿を見ていると、胸をつかまれる気がするのだ。

 風さんの歌には歌詞のないア〜ア〜の部分が多い。優しさ・キリがないから・特にない、何なんwのボイスイントロとバラベラ〜の部分。どの歌にもその要素があって美しい伸びを聴ける。燃えよは風さんの歌の中では言葉数が少なめで1音1音が長い。つまり歌詞は乗っているけどア〜♪ 同様ニュアンスのある伸びを多く聴けるのだ。聴けば聴くほどその揺らぎが美しい。この点についてはテクニックがすごいという見方に同意してもいいが、ピアノアレンジ同様、体?指?に染み付いた風さんの一部というべきかもしれない。

 3歳からピアノを習い、高校は音楽学類ピアノ専攻、という経歴からもわかるように、楽譜が読めるのは勿論、楽理も身についているはず。それでも楽譜を読むより耳コピの方が好きとのことで、体の芯まで音楽が染み込んでいるのだろう。能力の全てが音楽に捧げられているかのような(失礼?)そんな体から発せられる歌が特別な力を持つのは当然かもしれない。私としては、本当に全てではなく、自分のために使う時間と能力を残しておいて欲しいと思う。ホントはイヤだけど、さよならベイベや My eyes adored you (fortune and fame では無いでしょうが)の相手がいて欲しいと思うし、現在もそんな人がいたらいいとは思っている。オリジナル曲では love song に興味がないそうなので、当面気をもむ機会もなさそうだが。ズッズさんやダッチ兄貴やらとワチャワチャしてたらそれどころじゃない気もするし。シンガーソングライターでも、経験から作る人と、想像で膨らます人とに分かれるみたいだが、風さんはどっちのタイプなのかな。抽象的な歌詞だと思っていたら、現実の経験から作ったと聞いて驚いたのもあるし、わからないものです。どちらにせよ実際の恋愛を歌から伺い知ることはなさそう。